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「分かる」ということ

「スキーの真ん中に乗って...」

 
 それはインゲマル・ステンマルクの初級・中級スキーヤーへのアドバイスである。彼はアルペンスキーのワールドカップで前人未到の86勝を挙げている。その記録は今後も2度と破られることはないであろうと言われる大記録である。

 彼の滑った後は1本の細いきれいなシュプールが残されていた。今日のカービングスキーを持ってすれば、比較的きれいな1本線のシュプールは、いわゆる中級になれば可能である。

 しかし、彼が現役の頃のスキー板は細くて長い板(非カービング板)で、その様な技術はごく一部の者のみが行い得る高度なものであった。彼の滑った後のシュプールはその中でも際立って美しく細く1本の線となって残っていた。

 現在ではアルペンスキー競技の世界では100分の1秒を争っているが、当時彼は2位に2秒や3秒、時には5秒も引き離してトップに立っていた。アルペンスキー競技者は皆、彼の業を盗もうと研究したが全盛期の彼には誰も追いつけなかった。

 ゆえに、人は彼のことを「スキーの神様」と言う。

 

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 その彼のスキーヤーへのアドバイスは技術の各論を語ることはほとんどなかった。たった一言、「スキーの真ん中に乗って...」はその数少ない中の一つである。

 その意味はスキーの中級者になればある程度理解できるようになる。そして、分かったつもりになる。しかし、実際は全く分かってはいないのである。「スキーの真ん中に乗る」とは、「どんな時でも、どの様な状況でも」重力の方向ではなく、スキー板に垂直に力を加えると言う意味である。簡単な状況なら中級者にもできるが、すこし難しい状況になると出来なくなってしまう。

 通常、指導者はこれを色々と解説・指導する。しかし、彼はたった一言で片づけてしまう。「名選手必ずしも名監督ならず」の典型であろう。

 

 彼のスキーについての名言「子供の頃、砂いじりやトランプに時間を忘れて夢中になったよね。あれとまったく同じことなんだよ。」 これこそ、「好きこそものの上手なれ」の見本であろう。

 最近、スキーをしていてつくづく思うようになった。「理解する」と「分かる」は違うものだと例えば、男性にとって「出産」というものはある程度「理解」はできるが「分かる」ことはできない。

 技術や知識に関しても同様である。それらはある一定のレベルに達すると「理解」はできる。しかし、さらに上のレベル、あるいは最高または究極のレベルにまで到達しないと、真に「分かる」ことはできないのであろう。

 私には一生かかっても彼の言う「スキーの真ん中」には乗れそうもない。よって、それを「分かる」ことはできないのであろう。


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 しかし、また楽しからずや」

 スキーに興味のある方は、ぜひ↓のHPもご覧ください。

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